2008年10月20日 月曜日  著者:
愛染明王

仏教伝来

西暦538年、百済の聖明王の使者が、欽明天皇へ仏像・仏具・教典等を献上して以来、日本古来の神様も取り込みながら、仏教は日本に根付いていきました。以来約1,500年間、大きな戦乱や廃仏毀釈等の致命的な危機を乗り越えながら、現在も当時の仏像や教典が残っており、当時の姿をそのまま拝す事が出来ます。

元々外国の宗教・神様でありながら、1500年もの長きに亘り、ほぼそのままの状態で残っているというのは世界的にも稀であり、その世界的にも稀な歴史的資料を気軽に見られる我々日本人は、幸せであると言えるでしょう。これらを見物しに行かない手はありません。

日本の仏、その豊富なキャラ群

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教等の一神教の場合、一神教と言うだけあって、神様は唯一無二、ひとりだけです。かたや仏教は多神教であり、神様(仏様)のキャラクターは、全てを把握してる人はいないのではないか? という程多数存在します。この違いはどこからくるのでしょうか?

愛染明王もちろん、その違いは教義の違いからくるものですが、伝来の仕方の違いも大きく関係しています。一神教が他の地域・国へ伝来する場合、その地域で元々崇められていた神様は認められません。神はひとりしかいないからです。では、もとからいた土着の神様はどういった扱いになるのか? それは神ではなく、悪魔だ。という話になります。キリスト教などは、神様がひとりであるわりに、悪魔の種類が豊富であるのは、ここに原因があります。彼ら(悪魔)は、元々土着のローカルな神様だったのです。

一方仏教では、伝来しいて行く中で、土着のローカルな神様は、実は仏様の化身なのだ。という考え方をし、どんどん取り込んでその仲間を増やしていきました。インドで生まれた仏教は、東南アジア、チベット、中国、朝鮮半島へと拡大していき、土地の神様を吸収しながら、日本へと上陸します。伝来の最終地点ともいえる日本へ伝わった頃には、そのキャラクター数は既に膨大な数になっており、さらに日本のローカル神様をも加え、仏教国の中でもとりわけ大所帯な仏軍団へと成長しました。

日本人の美意識

千手観音仏像」と聞くと、「地味」「不吉」「気味が悪い」等と思う人が大半だと思いますが、本来の仏像のイメージは全く逆です。仏像は、華やかな極楽浄土にある仏様をイメージして作られたものであり、極彩色に彩られ、古代の仏像も、制作された当時はハッピー大爆発な印象でした。

日本以外のアジアの仏教国に目を向けると、仏像は極彩色を保つよう常に修復が繰り返されており、一遍の曇りもない金色だったり、赤・青・緑の原色キラキラな状態である事が普通です。しかし、日本の場合、日本独特の美意識である「侘び寂び」や、「諸行無常」という価値観が影響し、古びた仏像は古びたままが美しい、と、特に金箔を張り直したり、塗装をし直したりといったことはしません。日本人が「仏像」と聞いて「地味」だと感じるのは、ここに原因があると思われます。

人気ブログランキング ブログランキング・にほんブログ村へ

関連する投稿

カテゴリー: 仏像の種類  | タグ: , , ,

1件のコメント >コメントする

  1. 西暦538年 – 仏教伝来

    538年、百済の使者が欽明天皇に仏像などを献上し、仏教が伝来する。仏教を保護する蘇我氏と、神道を擁護する物部氏の対立が深まる。

    トラックバック by ぱふぅ家のホームページ — 2009年9月24日 @ 15:41

コメントする